BOOK REVIEW 270 山本文緒『群青の夜の羽毛布』

4167708027群青の夜の羽毛布
山本 文緒
文藝春秋 2006-05-10
[文春文庫 や-35-2]

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古今東西いつの時代も"家族の絆"は社会の根幹を支える大切なものだった。
生死を彷徨う病気を患ったり億単位の借金を背負ってしまった場合、
どんなに仲の良い親友よりも血を分かち合った家族のほうが親身になってくれる。
民法にも家族間の扶養義務はあると銘記されているし(民§877)、
道義的にも家族の絆を放棄することは許容されないはずだ。

では絆が繋がってさえいればそれで良いのだろうか。
例えば神経症的傾向を持つ親が子どもへ絶え間なく過干渉し、
結果として子どもの精神が不安定になってしまったら絆という美談では済まされない。

現実を見渡してみてもそういったいわゆる"仮面家族"は決して珍しくなく、
安住の地であるはずの家庭がストレスフルな場と化す悲劇が今日もどこかで起こっている。
「それも愛情表現の一つだよ」「我が子を大事にしない親なんていない」
などという情念的な言葉で思考停止してしまっては現代社会の病巣を見過ごしてしまうだけでなく、
延いては社会全体の公益を損なう事態にも陥りかねない。

今回ご紹介する物語に登場する家族は遠目から見る限り何の問題も抱えていないように見える。
確かに母親は昭和の時代を彷彿させるような厳格さを兼ね備えているが、
娘2人は別にぐれているわけでもないし、毎日一緒に食卓で顔を揃えている。

姉のさとるは大学を中退して以来特に何も仕事をしていない生活を送っていたものの、
スーパーで知り合った大学生の鉄男と交際しており、自宅でのデートも何度か重ねていた。
ガールフレンドの実家へ足を運んだからには鉄男も当然親に挨拶することになるわけだが、
ちょっと厳しい母親かなと思った以外は鉄男自身も家庭環境にそれほど疑問を抱くことはなかった。

惨劇というのは漢方薬のようにじわりじわりと運命を浸食していく。
これ以降、鉄男は魔性の家族が崩壊していく有様をショーのように見せつけられることになる。

妹のみつるからさとるの信じられない本性を聞かされたり、
ある話題に触れた途端にさとるが突然パニックを起こしたり、
母親が信じられない行動を起こしてさとるとの恋仲を引き裂こうとしたり...

また物語のキーポイントとなるのが各章の最初に書かれた登場人物の誰かによる独白だ。
読んでみると精神科でカウンセリングを受けている様子が描き出されているのだが、
一体誰によるものなのかが不明で、足の裏に付いたご飯粒のような感覚に苛まれる。
そして"超"が何度も付くほど衝撃的な事実を私たちは後半に突き付けられることになり...

一言断っておくが、見た目とは裏腹にかなりドロドロとした内容である。
タイトルと装丁だけ見るとロマンティックな物語なのかなとも勝手に想像を巡らせたりするのだが、
救いようのないほど精神的に病んでいる内容で、最後のシーンは深く考えさせられる。

さとるは母親の影響で人付き合いの苦手な女の子に育ってしまった。
他人との距離感を上手く掴めないし、安心できる瞬間は男に抱かれている時のみだ。
こんな自分にした母親をもっと憎んだっていいじゃないかとも思えるが、
親を憎むのは社会様が拵えた規範という名のレールに著しく抵触することになるし、
曲がりなりにも自分を愛してくれる母親に対して口が裂けても悪口なんて言えない。

そんなさとるの姿はとても痛々しいけれども、彼女は"女の子"としての魅力に恵まれていた。
情緒不安定なさとるに鉄男が惚れたのも女の子らしい一面が狂わしいほど愛しいからであり、
この恋愛感情が触媒となって家族の闇はますます炎色反応を激しくしていく。

ひょっとしたらいつも笑っている隣の家族がこの物語のような状態なのかもしれない。
現代の家族事情を紐解く上でぜひ読んでおきたい一冊。

BOOK REVIEW 269 中島義道『働くことがイヤな人のための本』

4532195306働くことがイヤな人のための本
中島 義道
日本経済新聞出版社 2010-02-01
[日経ビジネス人文庫 グリーン な-7-1]

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夏目漱石の『それから』に登場する主人公:長井代助は今で言うニートだ。
読書をこよなく愛し、金儲けを軽蔑し、社会から一歩離れた安全地帯にて毎日を過ごしており、
家が裕福であったせいか働かずに親の脛を齧りながら余裕のある生活を送っていた。
そんな彼も様々な事情に呑まれながら最終的には職を求めて社会へ飛び込んでいくことになる。
ただ実際には一度ニートになってしまうと社会復帰することがかなり難しい。

ミクロ経済学において労働はネガティブ要素として捉えられるが、実社会でも同様だ。
働くことに苦痛は付きものであり、全く傷つかない無菌室のような仕事はおそらく存在しないだろう。
誰だって嫌な思いはしたくない。そんな思いをするくらいならひきこもっていたほうが精神衛生的にも良い。
だから僕は働かないんだ。別に社会に対して直接的に迷惑をかけているわけでないからいいじゃないか。
...このように労働のリスクを過剰に恐れてしまうとニートやひきこもりになってしまう危険性があり、
現在日本にはそういった若者たちが100万人以上も家の中でひっそりと過ごしている。

だけども現実問題として社会へ出なければお金を稼ぐことは出来ないし、結婚だって出来ない。
ひきこもりをしたままで人生が好転する確率は0.000000000000000...∞であり、
『それから』の代助のようにいつかは勇気を出して社会の荒波へ飛び込んでいく必要がある。
人間として生まれてきたのだから、国民の義務でもある労働を無視することは本来出来ないはずだ。

今回ご紹介する本書の帯コピーでは悩めし若者たちへこう呼びかけている。

『仕事とは、生きがいとは、なんだろう?』

著者は元ひきこもりの大学教授であり、社会不適応な自己の姿に長年悩み続けていた。
そんな先生の言葉ならばひきこもっているキミへもきっとダイレクトに届くに違いない。
少なくとも経団連会長の叱咤激励よりも聞く耳を持ってくれるはずだ。

タイトルだけ見るとハウトゥーものを連想させるが、実際は問答形式の哲学書であり、
働くこと・生きること・人間であることについて壮大な思索が試みられている。
そして注目すべきはこの本が"日経ビジネス人文庫"から発売されたことで、
最先端で働くビジネスマンが通勤電車の中で熟読するのを想定しているのだ。
つまり「働くことに悩んでいる人はニートであるキミだけではない」わけである。

さて最初の章のテーマは《一生寝ているわけにはいかない》で、
留年を繰り返している25歳の大学生が働くことについて著者と問答を繰り広げている。

難関資格試験に合格したい、有名な作家になりたい、起業して金持ちになりたい...
大きな夢を持つことは生きがいにもなり、成功者たちはしきりに夢を抱くことの重要性を説く。
しかし現実に目を移すと誰もが認める成功者になれる確率は限りなく低く、
大多数の人たちがしがないサラリーマンと化して平凡な人生を送っていく。

市井の民が声を上げても影響力はゼロだし、リストラに遭えば生活がピンチとなる。
常に過重労働に脅えながら良心の呵責に悩み続け、社会という重圧に耐え続けなければならない。
そんな人生でもいいのか?働いたら負けじゃないか?社畜になって何がおもしろいんだ?
...社会の厳しさから逃避しようとするならば天から誘惑の声が聞こえてきそうだ。

そこで著者は人生の岐路に悩む若者にこう進言した。

「人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること。
 いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがあること。[中略]
 いかに悪辣な人生を送っても賞賛され賛美されることがあること。
 そして、社会に出て仕事をするとは、このすべてを受け入れるということ、
 その中でもがくということ、その中でため息をつくということなのだ」 (p47)

人生=理不尽であるとあらかじめ定義付けておけば仕事における不条理にも納得がいく。
働いている時に嫌なことがあったって、その状態こそが現代社会におけるデフォルトなのだ。
この後の問答も基本的には同じスタンスで展開されていき、
人生に対して諦観の境地を悟っているものの、その範囲内で小さく羽ばたこうとする姿勢が印象的だ。
その生き方を喩えるならば"日の当たらない隅っこから小さく猫パンチ"だろうか。

「理不尽であるからこそ、そこにさまざまなドラマを見ることができる。
 そこに、さまざまな人間の深さを見ることができる。
 目が鍛えられ、耳が鍛えられ、思考が鍛えられ、精神が鍛えられ、からだが鍛えられる」 (p156)

社会が理不尽だからと言って逃げてしまえば皮肉にもますます理不尽な人生になっていく。
また頭の中でいくら考えていたってその時の気分が高揚するだけであり、
どんなに高尚な理論であっても考えてばかりでは何も前へ進めることは出来ない。

「ある程度考えたら、もうあとは動きだすよりほかはない。
 仕事に対する適性を知りたいのなら、仕事につくよりほかないのだ」 (p108)

著者はクセのある考え方の持ち主なので読む人によっては受け付けられないこともあろうかと思われるが、
より良く生きていくための一つの知恵として割り切って読んでみるのも悪くはないだろう。
働くことがイヤになった時に本書を手に取ってみるのをオススメしたい。

BOOK REVIEW 268 水野愛也『LOVE理論』

4479770976LOVE理論
水野 愛也
大和書房 2007-08-05

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益荒男たるもの「いかにして女にモテるか」は本能を疼かせる永遠のテーマである。
大塚愛似の女の子が満面の笑みで「○○くん素敵☆」と迫ってきたらそれだけで有頂天になり、
世界は自分を中心に回っているかのような錯覚すら抱いてしまうバカこそが男の本性だと言えよう。

ところで恋愛を楽しむためには相手をどこかから探し出してくる必要がある。
合コンや婚活パーティーに参加すれば出会える確率は有意に高まるが、
いくら場に恵まれていても"恋愛力"がなければ恋人を抱き寄せることは一向に出来ない。

それに恋愛力はルックスの良さや人格成熟度と必ずしも比例しない。
街ゆく人々を見渡してみるとイケメンでもないのに何故かモテまくる人や
性格が悪いのに異性を惹きつけてやまない人、それに"美女と野獣"カップルだっている。

実はどんなにマイナス要因があったとしても後天的努力で逆転可能な分野こそ恋愛なのだ。
これからご紹介する『LOVE理論』を完膚無きまでマスターすれば
少なくとも理論上は嵐やKAT-TUNを凌駕する最高の男に生まれ変わることができる。
今回は相対性理論に比する衝撃を伴う門外不出の恋愛書を貴男に捧げたい。

本書の著者である恋愛体育教師:水野愛也は中高生時代を男子校で過ごしていた。
故に女の子と話したことが全くない童貞であり、必然的に大学デビューに賭けざるをえない。
大学入学後は200冊以上の恋愛マニュアル本を読み漁り、数々の試行錯誤の末に独自の理論を完成させ、
気付いたときには冴えない男だったはずの著者が絶世の美女をベッドで抱いていた。

ウソでしょ?週刊誌の後ろのページにある宝石の広告だって同じこと言ってるよ?
いやいや違う。著者の行動はすべて科学的な理論によって証明可能なのである。

Amazon.co.jpやmixiのレビューでは恋愛"神"である著者に対して絶賛コメントが数多く寄せられ、
実際に私自身が読んでみても「すごい!」と思ったほど本書には男を虜にする魔力が潜んでいる。
ではここでそんなLOVE理論の中身を少しだけ覗いてみることにしよう。

本書の構成としてはまず根本原理である「恋愛五大陸理論」が伝授され、
次に仕込み-出会い-デート-セックス-交際中の5段階に分けてきめ細かいレクチャーが施されている。
終始笑いの絶えない文体であり、『ウケる技術』の著者だけあってユニークさはピカイチだ。

「どんな素晴らしい理論でも出会いがなかったら仕方ないじゃないか!」と苦言を呈す人がいたとしたら
まずは一番最初に登場する『執着の分散理論』(p12) を考察してみてはどうだろうか。

「付き合うまでの口説きに関しては常時何人もの女に声をかけ、執着心を分散することが肝心なのだ」 (p16)
と主張するこの理論では、愛の告白において"下手な鉄砲も数打ちゃ当たる"方式を強く推奨している。
こう書くと「おまえは女なら誰でもいいのか」「そんな軽薄な恋愛なんて御免だ」という声が出てきそうだが、
そういった人に逆に聞いてみたい。この段階での「好き」とはどういう「好き」なのか?

付き合う前の恋心なんて所詮「恋に恋している状態」 (p16) に過ぎず、
人間的に深い部分を知るためには付き合わない限り絶対にわからない。
本気で燃えるような恋がしたいならばとにかく飛び込んでいく以外ないではないか。
それに複数の女を口説くことで心に余裕が出来るせいかテンパらなくなり、
結果として恋愛の成功率を上げ、人生を楽しむことが出来るというわけだ。
(著者はY軸にテンパリ度、X軸に口説く人数を表した「一途曲線」を用いてこの理論を証明)

『DK心変わりの理論』(p112) では何故エッチまでしてフラれてしまうのかを徹底分析している。
詳しくは本文に譲るが肝心な場面での"押し"の重要性をしつこいくらいに重視しており、
「女は好きな男とセックスするのではない。セックスした男を好きになる」 (p137)
へと結論付けていく。著者の実体験を元にしているだけあって内容が非常にリアルだ。

全体的に楽しい空気を漂わせているのが特徴的であり、笑いに事欠くことがない。
そういったネタ本だが《最後に》のエピソードでは不覚にも感動してしまった。
恋愛は魔法そのものであり、好きになると世界の誰よりもその人が輝いて見えてしまう。

「あなたって福山雅治やキムタクよりもかっこいいよ!!大好きだよ!!!」
...LOVE理論の最終目標はズバリこの台詞だ。恋愛に悩めしすべての人にオススメしたい一冊。

BOOK REVIEW 267 立花隆 佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』

4166607197ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊
立花 隆 佐藤 優
文藝春秋 2009-10-20
[文春新書 719]

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就活やコンパで最も求められる能力とは何かと問われればコミュニケーション力が真っ先に挙げられるが、
コミュ力の源泉となっている要素こそ「教養」ではないかと感じてならない。
大多数の若者は使い古された化石のような教養から真っ先に逃避を試みているものの、
ストイックに知性を磨くことは意外にもリア充への最短ルートなのだ。

クイズ番組華やかなりし昨今において単純知識を問う一問一答クイズが跳梁跋扈しているが、
"物知り坊や"だけでは知性を有していると言えず、次なる扉を開くことも出来ないだろう。
唯知っているのではなくあらゆる知識ピースと有機的に結び付けて使いこなせる能力こそが教養であり、
これ以上の経済成長に赤信号が灯った現代だからこそ教養は一段と重要な地位を占めている。

そう、教養人になることは21世紀の日本を生き抜く上において今や"must"となりつつあるのだ。
今回は知性漲る教養人になるための必読書とも言うべき新書をご紹介してみることにしたい。

本書は「知の巨人」と「知の怪物」による完全無欠のブックガイド+対談集で、
すべての学問を文理問わず網羅する超人的なインテリ:立花隆の頭脳と
外務専門職出身のスーパー外交官:佐藤優の頭脳が化学反応を起こしたエキサイティングな一冊だ。

まず最初は各人の本棚から『知的欲望に満ちた社会人へ』をテーマにそれぞれ100冊がリストアップされ、
これらの本たちが選定された理由や学問論についてのトークバトルが展開されている。
選定された200冊はこの手の本で必ず挙げられるクラシック作品が主体となっているものの、
現代文学や漫画『風の谷のナウシカ』がさり気なく選ばれていることにも着目したい。
"21世紀に必要な真の教養"をジャンルを超えて読者へ提供しようという二人の意気込みが伝わってくる。

ここまでだと特に珍しい企画でもなく、入学シーズンになれば今年もどこかで目にするに違いない。
その上セレクトされた200冊は専門書が多いせいか読書初心者だと挫折してしまう可能性も高く、
「こんな難しい本なんて読めるわけねーよ!」という悲鳴があちこちから聞こえてきそうだ。

そこで本書ではプラスアルファとして新書・文庫からさらに100冊ずつが紹介されている。
新書・文庫なら持ち運びが便利だし、値段だって控えめで書店でも見つけやすい。
とは言いつつも"巨人と怪物"が選定しただけあってお堅い本の比率がどうしても高くなっており、
長編作品もあるので結局は専門書同様に歯応えのあるラインナップとなってしまっている。

さて本書のもう一つの基軸である対談は月刊誌『文藝春秋』でよく掲載されていそうな内容で、
日本人の劣化と教養軽視の風潮を憂いながら「知」の危機について論じられている。
中でも印象的なのは戦争にまつわる本を読むことの重要性を指摘している箇所だ。

戦争の本と言えばイデオロギー色が前面に出て何となく読む気になれないのだけども、
国家の威信を賭けた戦争ではその時点で考えられ得る最高の知性が惜しみなく投入されており、
戦争について深く知ることは結果として学問を深く知ることへとつながっていく。
インターネット・GPS・金融システムも元々は最先端の軍事技術だった。

「[立花]戦争では、民族性も国民性も科学技術も文明も、すべてが凝縮されて表れますからね。
 戦争について知ることは現代人にとっても必須の教養でしょう」 (p113)

さらに「[立花]人間のダークサイドに関する情報が、現代の教養教育に決定的に欠けていますね」 (p167)
と言及して、"良い子"を育成するための教養教育に再考を促している箇所も必読だ。
厳しい社会を生き抜いていくために必要な教養は教科書以外にもたくさん眠っている。

そんな両者にとって教養とは一体何なのだろう。両者が捻り出した定義をここに引用してみたい。

「各界で教養人と見なされている人々と恥ずかしくない会話を持続的にかわせるだけの知的能力」 (p212)
「今、自分が遭遇している未知の問題にあったとき、そういうことをテキストから読み取れる力」 (p214)
 [上段:立花 下段:佐藤]

役に立つか立たないかの一元的な視点で教養書を評価するのはナンセンスだ。
『源氏物語』を読んだからといって財務諸表を読めるようにはならないし、
ルソーやニーチェの考え方を学んでも身の回りのトラブルを解決する直接的なヒントにはなりえないだろう。
それでも著者の二人は数え切れないくらいの古典作品を400冊の中に紛れ込ませている。

「[立花]古典には、知の共通基盤としての役割があると思います。
 人と何かについて語り合うときに前提となる知識がないと中身が濃い議論ができないからです」 (p220)

「知」を大切にしよう。そして「知」を愛そう。
読書が食傷気味となっているあなたの心を揺さぶるお得な一冊。

BOOK REVIEW 266 加藤由子『猫まるわかりフォト事典』

4054040276猫まるわかりフォト事典 不思議行動の理由から猫種のルーツまで
加藤 由子/監修  井川 俊彦/写真
学習研究社 2009-01-30
[学研ビジュアル新書 001]

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本を購入するときに最も大切にしているのがフィーリングだ。
いくら自分に興味のある内容について書かれていたとしても、
ぱっと見てジャケットや章構成が生理的に合わなければ購入することはまずない。
逆に全く門外漢なテーマでもフィーリングさえ合えば思わず衝動買いしてしまう。

...それは昨年のちょうど今頃、寒さが厳しい冬の夜だった。
馴染みの大型書店へ行っていつものように新刊書をチェックしていると、
今回ご紹介するこの本が何かを訴えかけるように私の眼に飛び込んでくる。

「おぉぉ、でもこれって前も読んだことあるような本じゃん」

実は以前同じ著者が書いた同様の本をブログにてレビューしたことがあり、
BOOK REVIEW 184 加藤由子『ネコ好きが気になる50の疑問』参照)
それならばわざわざ買うこともないのではないかと一瞬考えたのだが、
本を手に取ってみてページを開いた瞬間に猫が持つ魔力にロックオンされてしまい、
気が付けば財布の中身をちらりと確認しながらせっせとレジへ走っていた。

と言うのもこの本に載っている猫たちがあまりにかわいかったのである。

前述の『ネコ好きが~』の本にはイラストしか掲載されていなかったものの、
本書には写真がふんだんに盛り込まれており、その愛らしい姿を見ていると一発でKOだ。
また前半は重複する箇所が多々あるが、後半の《世界のいろいろな猫》は前書に未掲載であり、
世界中に生息する猫たちの知られざる生態を知ることも出来る。

ノルウェージャンフォレストキャット(→p116) は今にも触りたくなるほど毛がふわふわで、
アメリカンショートヘアー(→p122) はこれぞ猫!といった人懐っこい風貌が印象的で、
ロシアンブルー(→p126) の子猫を見ると疲れまでもがどこかへ吹っ飛んでいってしまいそうだ。

これほどまでに私たちを魅了する猫だけれども、意外にも猫は何も考えていない。
例えば出掛ける時に玄関までお見送りに来てくれることがよくあり、
寂しそうで虚ろな瞳から「にゃあ」と鳴かれると人間的感覚からすると嬉しくなるのが常だろう。
「よーしよしよし、今晩は早く帰ってくるからいい子で待ってるんだよー」

ところが猫は寂しいから鳴いたわけでもないし、功利的なリターンを求めているわけでもない。
ただ何となく縄張りの境界線まで"友達として"付いてきているだけなのだ。
「留守番の間も、おなかが空くまで飼い主のことなど忘れ、グーグー眠りこけています」 (p70)

こんな情の薄い猫なんて嫌いだという人ももちろんいるだろう。
一生懸命愛しても振り向いてくれるとは限らないし、むしろ逆襲されるかもしれない。
それでも猫の魅力に取り憑かれるのは一緒にいると幸福になれるからではないだろうか。

「飼い猫は死ぬまで遊び心を持っているのです。[中略]
 言葉はなくとも、いっしょに遊ぶことで素晴らしいコミュニケーションが生まれます」 (p64)

難しいことなんて考えなくていい。楽しかったらとりあえずそれでいいじゃん。
嫌なことがあったって「にゃあ」って鳴けばなんかいいことあるんだよ、きっと。
...日々何かに追われながら行き急いでいる私たちにとって"猫マインド"は学ぶべきところが多々ある。
仕事の繰り返しで心身共に疲れきっているあなたにこの本を捧げたい。

BOOK REVIEW 265 吉本ばなな『TUGUMI』

4122018838TUGUMI つぐみ
吉本 ばなな
中央公論社 1992-03-10
[中公文庫 よ-25-1]

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女の子の笑顔は有史以来人類が生み出した武器の中でも最強の威力を放ち、
どんなにモヤモヤした感情を抱いていても"とびっきりのスマイル"で応酬されたら
今までのことをすべてチャラにして許せてしまうのだから実に不思議なものだ。

魔性の魅力を持つ女の子はこの世に数知れない。
今回はそんなとてつもない魅力に恵まれた女の子の物語をご紹介することにしよう。

女子大生のまりあは大学生になって初めての夏休みに東京から田舎へ帰省することになった。
上京する前はある事情があったため親戚が営む山本屋旅館に長年身を寄せていて、
その思い出の旅館が今シーズン限りで店を畳むという一報をふいに耳にしたからだ。

この旅館で出会った親戚の女の子こそタイトルにもなっている主人公のつぐみであり、
まりあとつぐみは綺麗事だけでは語れない強固な友情を長年にわたって育んできた。

一つ年下のつぐみは幼き頃から身体が弱くて何度も生死を彷徨うほど病気に苦しんだ。
日常生活でもすぐに体調を崩したため家族からは過保護で育てられることになり、
そのせいか手の付けられないほどやんちゃな姫へと成長してしまうことになる。

とにかく生意気である。人の嫌がることでも平気でやりやがる。
気に入らないことがあればすぐに罵倒して責任を他人へそのまま押し付け、
他人の善意を素直に受け取ることが出来ず、感謝の言葉すらも発したことがない。
そのくせ学校では猫被りで本性を晒さないので性格は限りなく最悪に近かった。

年上であるはずの姉:陽子と従姉妹:まりあに対して平気でおまえ呼ばわりし、
特にまりあに対しては「ブスが来たぞー」「おまえ性格悪い」と言いたい放題であり、
そんな惨状を家族が悲しんで頬に涙を見せてもつぐみはせせら笑うだけだった。
「おまえら、あたしが今夜ぽっくりいっちまってみろ、あと味が悪いぞー。泣くな」 (p13)

悪魔のような心を持ったつぐみはまるで天使のようにとってもかわいい美少女でもあった。
透き通るような白い肌、今にも崩れ落ちそうなほどの細い腕、誰しもが引き込まれる大きな瞳...
ふいに見せる笑顔が非常に愛らしく、その笑顔に触れるとこんなに性格が悪いとは到底思えない。

ある日いつものように犬と散歩していると大人びた男の子である恭一に偶然出会う。
恭一は島に新しく出来るリゾートホテルの支配人の息子で、つぐみとは同い年だ。
そしてつぐみは恭一に対してほのかな恋心を抱くことになる。

「何べん会ってもあきないし、顔を見てると手に持ってるソフトクリームとかを
 ぐりぐりってなすりつけてやりたくなるくらい、好きなんだ」 (p133)

夜の浜辺でデートを楽しんだり、浴衣を着て一緒に祭りを見に行ったり、
つぐみが倒れて寝込んでしまったときは恭一が家へお見舞いに伺ったりするなど
ひと夏の恋物語は青春ドラマのワンシーンのような様相を呈してくるが、つぐみはただものではない。
以後この恋は誰も予想しないような信じられない展開を辿ることになる...

いわゆる"お約束"の展開には全くならないところがこの物語のポイントで、
「なんでこいつはこんなに憎たらしいんだあ!!」と思わず文庫本に怒鳴りたくなるほど
つぐみの悪事はページを捲る毎にエスカレートしていってしまう。

だけどもつぐみを嫌いになれずにむしろ惹かれてしまうのはどうしてだろう?
それはどんな時でも200%全力投球で生きていたからではないだろうか。
もちろん島内ナンバーワンのかわいい女の子ということが有意に関係していることも否定できないが、
かわいいだけで人々を心の底まで惹きつけることは出来ない。

病弱な自分はいつ死ぬかわからない。こんな若さで死ぬなんて真っ平御免だ。
出来るだけ自分に死を誘き寄せないためには思いっきり生を振り翳してやればいい。
死なんて遠くへいっちまえ。あたしのエネルギーで死を殺してやるんだ。
...つぐみから放出される巨大なエネルギーは死の淵にいるからこそ出せたのではないか。

つぐみの良き理解者であるまりあはボロクソに貶されながらも本当の姿を見抜いていた。

「つぐみの心や言葉よりも、もっとずっと奥の方に、つぐみのめちゃくちゃさを支えるひとつの光があった。
 その悲しいほどつよい光は、本人も知らないところで永久機関のように輝き続けているのだ」 (p74)

人間の魅力を支えているのは知力でも体力でも時の運でもなく生命力だ。
ベクトルの向きがどうであれ真剣に打ち込んでいる人の周りには自然と仲間が集ってくる。
つぐみは性格の悪さという現代社会において致命的な欠陥を底知れぬ生命力で見事に補った。
数々の悪行は褒められる行為とは言えないものの、読んでいると何故かつぐみに会いたくなるほどで、
この魔性の魅力こそ現代人がどこかで忘れてしまった大切な原風景ではないかと感じてならない。

今年の夏がやってくる前に読んでおきたい生命力溢れる一冊。

BOOK REVIEW 264 海堂尊『ブラックペアン1988』

406276525Xブラックペアン1988(上)
海堂 尊
講談社 2009-12-15
[講談社文庫 か-115-1]

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4062765268ブラックペアン1988(下)
海堂 尊
講談社 2009-12-15
[講談社文庫 か-115-2]

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大学において異色の空気を放つエリアは何を隠そう医学部で、
医学部だけ他学部とシステムが大きく異なっていることは世間でもよく知られている。

中でも特筆すべきなのは日本独自の医局制度だろう。
(詳しくはBOOK REVIEW 82 保阪正康『医学部残酷物語』参照)
教室(他学部でいうゼミ・研究室)が大学病院の診療科と直結しており、
医局内の人間関係は教授を頂点とした絶対服従ピラミッドへと収斂していく。

最近は研修医制度改革などで一時期に比べてずいぶん風通しが良くなったそうだが、
昭和の時代のような古い体質を引き摺った医局が未だに存在しているのも事実だ。

今回はそんな昔ながらの医局における人間ドラマを描いた作品をご紹介したい。

舞台となっているのは地方都市にある東城大学医学部の総合外科学教室で、
バブル華やかなりし頃の1988年にこの名門医局へ研修医の世良が門を叩くシーンから物語は始まる。
近年は肺外科などが相次いで独立していって往事の勢いは衰えているものの、
外科学の重鎮:佐伯教授が支配する典型的な"白い巨塔"の世界は健在だった。

ある日、日本を代表するエリート大学:帝華大学から高階講師が派遣されてきた。
都落ちした高階は自らの能力を惜しみなく吹聴して医局員たちの反感を買うが、
高階の開発した食道自動吻合器「スナイプAZ1988」は憎いほど次々に手術を成功へと導いていく。

スナイプAZ1988を使えばたとえ研修医でもハイレベルな手術が可能だし、
普通に手術を行うよりも成功率が高いのでこれからの外科手術を担っていく存在になるだろう。
それなのに相変わらず旧来的な発想と技術にしがみついて現状を変えようとしない.........と、
高階は佐伯教授の居る前で例の如く医局批判へと繋げていってカンファレンスの空気を凍てつかせた。

これに異を唱えたのが医局の中では一匹狼であった渡海だ。

「バカな人だね。外科医なら、自分の技術の高みを目指すのが総てだろ。
 誰にでもできる手術だったら、誰がありがたがる?結局外科技術の安売りになる。
 あんたがやろうとしていることは、外科の土台を根底から崩すことだ」 (上巻 p92)

外科医たるもの技術が命であり、おもちゃのような器具に頼ったって何のプラスにもならない。
以後スナイプAZ1988を巡って研修医・医学生を巻き込んでの狂想曲が繰り広げられていく。
そして佐伯教授が病院長選挙に立候補することになって物語は急展開することに...

帯コピーに『破天荒におもしろい医学ミステリー』と書かれているものの、
ミステリーと言える部分はなく、雰囲気を味わえる疑似ミステリーと評せば良いだろうか。
著者が現役医師であるだけに手術シーンのリアリティは群を抜いており、
研修医が持つ"一人前の医師なんだけども見習い"という独特な地位も上手く表現されている。

ちなみにベストセラーとなった『チーム・バチスタの栄光』はこの作品の20年後を描いた物語で、
他作品も登場人物が本作とシンクロしているので通して読めばおもしろさも倍増だ。

物語に出てくる渡海医師は余人に代え難いほどの技術を持っているが、
性格やスタンスに非常に癖のある人物でもあり、一番付き合いたくないタイプの医師だろう。
そんな渡海には知られざる過去があり、その過去が医局に暗い影を落としていく。

「栄光の極みは没落の始まりなのさ」 (下巻 p164)

佐伯外科の運命は?スナイプAZ1988を巡る高階vs.渡海の行方は?
今すぐ本屋へGO!な一冊。メディカルな興奮をあなたへ。

BOOK REVIEW 263 王雲海『日本の刑罰は重いか軽いか』

4087204383日本の刑罰は重いか軽いか
王 雲海
集英社 2008-04-22
[集英社新書 438B]

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内閣府が死刑制度の是非について世論調査を行い、
死刑制度を容認すると答えた人が過去最高の85%にも上ったことが報道された。
世の中全体が厳罰化へと傾きつつあるのがこの数字からも裏付けられる。

歴史を紐解いてみると19世紀まではどの国でも日常的に残虐な刑罰が執り行われていたが、
法概念にも人権意識が芽生え始めてきた20世紀になると死刑は縮小の一途を辿り、
EUに加盟している諸国で死刑を存置している国は今や皆無だ。
にも拘わらず日本人のほとんどが死刑賛成の立場を崩していないということは
根底の意識として「今の刑罰は軽くて物足りない」と感じていることが推測される。

学問の出発点は何よりもまず疑うことだ。そこでこの命題に関しても疑いの目を向けてみよう。
果たして本当に日本の刑罰は世界的に見て軽いと言えるのであろうか?
今回はその疑問に対する答えを模索した大変有意義な本をご紹介してみたい。

本書は日本・米国・中国の刑罰制度を豊富な具体例を用いながら比較した一冊であり、
俗っぽいタイトルであるものの中身は専門書並みに精緻な理論が展開されている。
この手の新書にしては珍しく最初の約90ページがひたすら分析手法の説明に割かれていて、
「きちんと論証してみせよう」という著者の意気込みがひしひしと伝わり好感を抱くことが出来た。

日米中の三ヶ国はいろんな面で対称的であるが、刑罰制度においても例外ではない。

まず中国は世界で執行される死刑の約8割を占めていて、経済犯罪でも容赦なく死刑になる。
かといって中国の刑罰を重いと単純に捉えてしまってはミスリードを犯してしまう。
軽微な犯罪に関して言えば日本よりも圧倒的に罪が軽い事実を見逃してはならない。

例えば日本においてコンビニで150円のペットボトルを万引きすれば、
ほぼ間違いなく店員に取り押さえられて警官に身柄を引き渡されることになるだろう。
人のモノを盗むことは疑いなく犯罪であるし、公権力による罰を受けて当然の行為と言える。

ところが中国ではペットボトルを盗んでも犯罪にはならない。
というのも「盗んだものの金額が五〇〇人民元以上でなければ、窃盗罪とは認定されず、
 逮捕・起訴・裁判にならない」 (p129)
法体系が厳然として存在するからだ。
500元=約6500円で、物価水準を加味すると500元は公務員の給与一ヶ月分に相当する。
つまり中国では32型のハイビジョンテレビを盗んだとしても罪として成立しないのである。

その代わりある一定量以上の犯罪を犯すと、とてつもない重刑が下される。
また死刑執行までのプロセスが非常に迅速で、逮捕から最速一ヶ月で死刑が執行されることもある。
当局が政治的スローガンを込めて重点的に逮捕キャンペーンを行うこともあり、
中国において逮捕されることは「運が悪い」と捉えられる傾向にあることも着目したい。
故に捕まった人に対して同情的であり、前科があっても差別されることはない。

逆に日本の場合は「有罪推定、罪刑不法定」(p161) と皮肉られるように、
逮捕されるとたとえ未決でも人々の意識の間で「この人は罪人だ」という意識が醸成され、
有罪になって刑期を終えたとしてもスムーズに社会復帰が出来ないことも多い。
出所者が社会に出ると今度は"私刑"とも言うべき仕打ちに耐える必要があり、
そういったことから日本の刑罰は軽いとは一概に言えない状況にある。

だからと言って諸外国に比べて刑が重いというわけでもない。
徐々に厳罰化が進んでいるものの、どんなに横領したとしても最高刑は微々たるもので、
殺人罪でも場合によっては執行猶予が付くことさえある。
...この一連の比較考察はとても興味深いので、米国の例は本書を読んで確かめていただきたい。

本書にて著者は日本の社会特質を「文化社会」と位置づけているが、
(ちなみに中国は「権力社会」、米国は「法律社会」)
三国の比較から見えてくる日本の司法制度の問題点を以下のように指摘している。

「日本の犯罪と刑罰そして刑事司法の問題点は、[中略]、民衆・世間・常識に近すぎて、
 文化・道徳の一体性を取り入れすぎ、国民の反応・世論に対して必要以上に敏感で、
 世論動向によって左右されすぎていることである」 (p212)

厳罰にしたから犯罪が減ると言った理論に科学的根拠はないし、
世間の常識を反映した裁判員制度がベストな判決を下すとは必ずしも限らない。
どんな罪でも死刑にしたらそれですべてが終わりというわけではなく、
被害者ケアも同時に進めなければ刑罰制度としては不完全だろう。
感情にまかせて「厳罰!厳罰!厳罰!」と闇雲に叫んでも何の解にもならないのだ。

法律や社会特質を考慮した大局的観点こそが刑事政策において何よりも求められる。
ん?日本の刑罰は重いのか軽いのか結局どっちなんだ?
その答えは《おわりに》で丁寧に綴られているのでそこだけでもぜひご一読あれ。

日本の刑罰について深い知見を得るために必要な一冊。

BOOK REVIEW 262 長嶺超輝『47都道府県これマジ!?条例集』

434498150247都道府県これマジ!?条例集
長嶺 超輝
幻冬舎 2009-11-30
[幻冬舎新書 149]

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世の中で最もおもしろくない文章と言えば間違いなく法律だろう。
もちろん無味乾燥な条文の先には美しい法理論というのが存在するわけだけども、
文学作品と同じようなテイストで読んでもおもしろさを感じることは出来ない。
ちなみに眠りたい時には行政手続法や刑事訴訟法を読むのがオススメだ。

では地方自治体が制定する条例は一体どうなのだろう。
条例とは当該自治体内のみに適用されるローカル・ルールで、
法定刑の上限は懲役(禁錮)2年・罰金100万円に設定されているものの、
その範囲内ならば自由な裁量で制定することが出来る法規を指す。

法律の場合は官僚や国会議員が夜な夜な利害調整を行うために、
どうしても各方面に配慮した無難な内容に落ち着いてしまうのが難点だが、
条例の場合はステークホルダーが国と比して小さいので、
時には国レベルで行うことの出来ない斬新な内容をも包含することが出来る。
故にユニークな条例を制定しやすく、地域振興にも一役買っているというわけだ。

今回ご紹介する本は日本全国のユニークな条例を集めた一冊で、
著者自身が全自治体の条例を虱潰しに探したというほどの力作だ。
とは言いつつもすべての条例を紙面にて紹介し尽くすのは厳しいものがあるので、
47都道府県の"代表"とも言うべき条例をいくつか選抜して掲載し、
各々の条例に対して著者が一言言及するというスタイルが取られている。

読んでいて一番インパクトのあった条例は何と言っても「おっぱい都市宣言」(→p168) だ。
山口県光市の条例だが、別にエッチな条例というわけでは決してない。
この条例でのおっぱいは子育てと同義であり、母親だけでなく父親の育児参加まで射程に収めており、
条例の本旨に沿って市内では様々なイベントが積極的に催されている。
本書によれば条例の影響で光市の母乳育児率が全国平均を大きく上回り、
相談電話などの"おっぱいインフラ"も整備され、子育てシティとしての地位が確立されたそうだ。

また高知県の「まちづくり一緒にやろうや条例」(→p184) では条文が方言で炸裂している。
「みんなあにとって、「のうがえいまち」にしたいき。
 なんかあったときに、すっと助け合える関係でおりたいき。
 このまちに住んじょって良かったと思えるようになりたいき」 (p184)

法律がこんなにフレンドリーな言葉だったらどれだけたくさんの人々に親しまれたことだろう。
他にも数え切れないほどのユニークな条例が収載されていてここでもご紹介したいくらいなのだが、
詳しくは読んでからのお楽しみということにしておきたい。

自治体の規模が小さければ小さいほど住民と行政の距離が近くなるので、
画期的な条例を制定するハードルも必然的に小さくなってくるわけだけれども、
平成の大合併によって小規模の市町村は近隣自治体へ吸収されてしまい、
それに付随して日本各地に点在する"おらが町"の名物条例も消滅の運命を辿ることになった。

「平成の大合併には、自治体の運営を効率よくする一方で、
 数多くのユニークな条例を捨ててきた側面もあるのです」 (p175)

だが果たして本当にそれで良かったのだろうか。
ある程度まで集権化が必要なことは政策上避けられないとしても、
地域の特性を活かした条例の灯まで消してしまうとますます地方が疲弊してしまう。

かつてJ.ブライスが「地方自治は民主主義の学校である」と表現したように、
地方自治の主人公は他ならぬ市民で、国政と同一化していては地方の特色が出てこない。
超高齢社会を間近に控えて閉塞感が漂う日本社会を打ち破るカギとなるのが条例であり、
オリジナリティ溢れる条例を制定する意義は日に日に高まっている。

だからこそみなさんにもこの本を手に取って条例を身近に感じて欲しい。
きっと今住んでいる自治体を活性化させるヒントを掴めるはずだし、
国政と比べて地味な地方自治にも今以上の興味を抱くことができるはずだ。

地方をこれ以上衰退させないためにも必要な一冊。

BOOK REVIEW 261 瀬尾まいこ『図書館の神様』

4480426264図書館の神様
瀬尾 まいこ
筑摩書房 2009-07-10
[ちくま文庫 せ-11-1]

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本を愛する人たちにとって図書館は欠かすことのできない憩いの場であり、
様々な形態の図書館が今日もどこかで読書家を魅了し続けている。

国会図書館の荘厳な佇まいはまさに「知」の宇宙ステーションのようであるし、
大学図書館や都道府県立図書館にはアカデミックな雰囲気が揺蕩っているし、
個人が開設した私設図書館へ行けばその人が生きてきた人生を肌で感じることだって出来る。

そういえば昔通っていた小中高にも図書館ならぬ"図書室"があった。
だけども「本が並んでいる」という物理的な側面は変わらないはずなのに、
大学図書館とは世界観が違う上に公民館のそれともちょっと違う。
図書室はたとえ読書が嫌いな人が入室しようとしても突き放したりなんかしないし、
誰にでも読めそうな本ばかりが絶妙なバランスで棚に整理されていたりする。

そうなのだ、この図書館の神様はみんなに優しいのだ。
そこで今回は高校の図書室を舞台とした物語をご紹介することにしたい。

主人公の清は傷ついた過去のせいで大好きなバレーボールから離れざるを得なくなり、
新任教師として赴任した高校ではスポーツと無縁な文芸部の顧問に就くことになってしまった。
文芸部の部員は3年生の垣内君一人のみで、垣内君は来る日も来る日も本を読み続けている。

もともと体育会系な清にとって文芸部の空気は異質そのものだ。
朝練があるわけでもなければ、チームプレイを要求されるわけでもない。
もっと言えば読書の良さが全くわからないせいか図書室にいることさえ苦痛に思えるほどで、
特に何をするでもなく季節だけがダラダラと過ぎ去っていった。

これだけ時間を共有していると二人は近所のお姉さんと弟のような親しい関係になってくるが、
ある一定ラインより先へ超えようとも思わなければ込み入った話をしようともしなかった。
清は不倫相手である浅見さんとの将来のことで真剣に悩んでいるのにずっと隠し続けていたし、
教師という立場であるにも拘わらず垣内君の意外な過去を知るタイミングすら掴めなかったほどだ。

こんな適当な日々を過ごしていて果たして大丈夫なのだろうか。
この気怠さこそが青春なんだよと言われれば確かにそうなのかもしれないが、
ジャンプをするからには着地点が定まっていたほうが良いに決まっている。

「やりたくもない仕事をいい加減にこなしている。だらしない恋愛におざなりに埋もれている。
 嘘をついているわけではないが、自分も他人もうまい具合に騙しながら、適当に毎日を過ごしている」 (p59)

やがて時を経るに従って文芸部にも小さな変化が着実に訪れるようになり、
卒業が近付いてくるとある一つの重大な決断を迫られることになる。
清の心もある方向へと移ろっていき、気が付けば着任した時から一年が過ぎようとしていた...

読んでいると図書室の懐かしい匂いが自然と文面から漂ってきて、
久しく足を踏み入れていない私にとっては非常にノスタルジックな瞬間だった。
私にとって図書室とは否応なく孤独と結びついてしまう場所なので少々苦い気持ちになるのだが、
図書室がなければケイジスタはないだろうし、読書に青春を懸ける垣内君も心の中で美しく映る。

物語の中で垣内君は読書についてこのように熱く語っていた。

「文学を通せば、何年も前に生きてた人と同じものを見れるんだ。
 見ず知らずの女の人に恋することだってできる。自分の中のものを切り出してくることだってできる。
 とにかくそこにいながらにして、たいていのことができてしまう」 (p187)

読書に溺れる垣内君は人間関係にクールな少年のように一見思えるし、
高校生なんだから清に対してもっとあっけらかんと接してもいいのではないかとも感じる。
でも垣内君は彼なりのやり方できちんとした絆を結んでいたのだ。
物語のラストでそのことに気付いたとき、とても清々しい気持ちになった。

垣内君は図書館の神様からきっと寵愛されているに違いない...!

なお本書には短編『雲行き』も収録されているのでそちらも併せてお楽しみいただきたい。